働くということ。仕事と労働の違い。

今の男性たちは(最近では多くの女性もだけれど)仕事を労働と重ねている人が多い。

 

ライフワークとライスワーク。


よく聞く言葉でもあるけれど

食べるために働くことって実は素晴らしいこと。

 

働くって素晴らしいこと。


人が動くと書いて働く。


動けるから働ける。

寝込んだら働けない。


働けるって健康の証でもある。

 

ただ、心が健康で働けているか?と聞かれると冒頭に書いたように、労働ばかりしすぎて、仕事になっていない人が多いと、どうしても心が疲れて病んでしまう。

 

私にとって仕事ってことは素直に生きるってこと。

よく志に事って書いて志事(しごと)って書く方がおられるけれど、私は仕事が好きだから、その言葉は使わない。


だけど、なぜか仕事が悪いことと捉えて、仕事をしたくないという人も多く見受けられる。


遊んで寝ていたい。

遊ぶように暮らしたい。

 

うん。それはそれでいいんだけれど、実は、仕事をしていても疲れない方法はいくらでもある。


私の亡き父は遊ぶように生きたい人だった。

多分(日本の)結婚生活(制度)というものには向かない生き方をしたい人だった。

 

だけどなんの因果か?家庭を絶対大切にしたい願望が強い母と結婚し、子供を成した。

 

遊びたい。でも、子供と家族のために仕事をしないといけない。


とはいえ、持って生まれていない氣質を生きるって本当に辛いのは、今の私ならわかる。


父は仕事には真面目に行った。

左官職人だったので雨の時は仕事はなかったが、それ以外は朝早くから出かけて行った。

 

お酒が好きで、女性が好きで、遊びが好きな父。

片やお酒も飲めず、人が苦手で、遊びも知らず17歳で結婚した母。

そんな女性と一緒になって、21歳で父親になった遊びたい氣質の男。


正しいも間違いもない。

 

今なら父が、父らしい生き方で人の役に立てる仕事が見つけられたかもしれない。

だけど、当時の(いや、今でもか)男性は、結婚したら女性を養うモノであり、経済力のない男性は評価が低かった。


生きづらかっただろうなあ。

理解されづらかっただろうな。

 


お金を儲けることが上手い人は、選択肢が増えるために、幅の広い人生を歩みやすい...か?

 

いや。そうでもあり、そうでもなしだ。


お金があって、いい学校に出ても、エリート学校で限られた空間の中に育ち、外に出たことがない人が今の日本の政治を担っているじゃないの?

 

要は経済力と人間としての価値はイコールではないということ。

 

でも、今でも多くの人が、お金と、自分や大切な人の価値を比べる傾向が強い。


孫正義さんをすごー!っと思っても、自分ちのお父さんをすごー!って思わないのがいい例だよね。(まあ思わない人もいるけれど、一つの例としてってことで読んでもらえると嬉しいな。)


さて、日本なぜか、仕事が労働にすり替わってしまった。

 

税金に追われ、ローンに追われ、自分をなくして会社に尽くし、家に尽くす。

 

男性たちの悲しい集合意識はいつの時代から強まったのだろう?

 

古代や戦前を私は知らない。

 

でも、今のように国民の多くの人が車を持ち、自分の年収の何倍もする家を買い、所得や消費、自分の健康のために国へ多くの税を払っていたのだろうか?


お金ってなんなんだろう?

仕事ってなんなんだろう? 

男性は、お父ちゃんはなんのために生きているのだろう?

 

女性が本当の女性に目覚め始めると、当然ながら男性も真の男性性に目覚め始める。

 

自分を殺して家や国のために働くことが真の男性性なのだろうか? 

家族を養う経済力が真の男性性なのだろうか? 

 

そもそも、男性ってどんな存在なのだろうか? 

 

女性性を追求して、満たしてもらえ始めた今だからこそ、私は男性にも絶対に幸せでいる選択をしてもらいたい。

 

多くの男性が国のために命を落とし、家族のために戦争に出向いた。

 

延々と続いて来たその歪んだ男性性を解き放つのは、

女性が女性らし今まで働けるようになると、

女性が女性のままで仕事ができるようになると、

男性の解放がはじまりのきっかけになるのではないかと思うのです。


コロナのせいで仕事をなくしたり、仕事が減ったりしている今の社会の中で、男性は男性であり、価値が下がっているわけではない!と声を大にして言いたい。

 

私の父が、生きていてくれるだけでよかったと思うのは

「経済力」でも「家族を守ってくれる」からでもない。


父が父だからなのです。


彼が彼だったから、私の父だったから、それだけで生きていて欲しいのです。

 

そこに経済力・社会性など必要ないのです。


ただ、生きていてくれるだけでいい。

 

でもそのためには、仕事や労働の思い込みを、男性も女性も外さないとお互いが辛くなる...そんな時期にあるように思う。


私は夕日を美しいと思える

自然を美しいと思える伴侶を心から尊敬する。

 

鹿たちと共にいることの不自然さを感じない男性。


これが私の伴侶の氣質。

 

男性も休んでいい。

止まってもいい。

女性に譲ってもいい。

 

そんなことをこの今の時期は教えてくれているような氣がする。

マグワイスト宣言

伴侶とのまぐわいを通じて平和を実現する世界

0コメント

  • 1000 / 1000